追悼、そして再読。

追悼読書
大好きな作り手が相次いで亡くなられてションボリであります。

宇江佐真理さん、デビュー当初は存じあげなかったのですが、伊三次シリーズが文庫化されたあたりから、実家で大ブレイクして、家族皆んなでずっと回し読みしていました。映像化したものにはついぞ触れませんでしたが、とても好きです。

まずは、文庫本は家に転がっていたのに読まずにいた「あやめ横丁の人々」を読み、それから「髪結い伊三次捕物余話」シリーズをぼちぼち再読。4作目の「さんだらぼっち」まで読了しました。

著者のライフワークだけあり、まずはとにかく、レギュラー/準レギュラーの登場人物たちのキャラクターと描写が圧巻の質・量で、2冊も読めば、自分も彼らの知り合い、と錯覚するほど立体的に造形されています。書評などでもそのあたりの魅力が解説されており、もう本当に太鼓判なのですが、そこもさることながら、僕個人は、宇江佐さんが描く、結果的にそれぞれ、しくじったり、道を外してしまう人々にズッポリ共感してしまうのですね。

内容が捕物シリーズ、要は探偵モノみたいなものなので、毎回なんらかの犯罪がおこり、下手人があがります。いわば「悪いやつ」です。が、だいたい、メインの登場人物からして、たいへん辛口に描写されることも多く、またそれ故のリアリティが肝の物語ではあるものの、下手人どもなど、それを上回るほどに相当冷徹に描いているのに、時に「ええもん」が煩わしい人間に思えたり、「わるもん」に共感できたり、ただ、そのあたりは描写のブレによるものではなく、如何に作家が「人間通」であるか、ということに尽きると思うのです。

犯罪を軸に、捕まえ、捕まえられる人間がいるけれど、どちらにも誰一人「しくじらない人間」は居ません。人が人を裁くことの、ある種の不健康さを告発するかのようです。誰もかれも不完全で頼りなく、いとおしいからこそ、この物語はたいそう面白いのだと思うのです。

実は、「伊三次」シリーズは、僕は登場人物のクセが強すぎるのと、どうにも暗い話が多いイメージがしていて、宇江佐作品では「おちゃっぴい」や「春風ぞ吹く」とかのほうが好きなのですが、この、独特の「ギリシア神話的な生臭さ」に、今はどっぷりハマってみたいと思います。

文藝春秋社「本の話WEB」特設サイト 宇江佐真理「髪結い伊三次捕物余話」シリーズ

水木先生は、もう、なんか、淋しいばっかりです。なんも書く気がおこりませんので、ちょっと戦記モノとかも含め色々と読み直します。それから、なんか書きたいと思います。

とりあえず、「のんのんばあ」読みだすと、止まりません。

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