こころのなかを覗く

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音楽のハナシではないのですが、たとえば歌詞を書くのであったり、もっと、瞬発的な作業、インプロ(アドリブ/即興演奏)であったり、作曲、ことにメロディを考えている時。懐かしの言葉「サイコダイビング」みたいに、自分の心の中に降りていく作業に近いことをしています。

インプロの場合は、普通に考えるスピードよりももっと高いフレームレートで、思考というよりももっと速いやりとりが脳と手の間で行われている感じではあります。考えていたら曲が終わってしまうので。

こういうような、脳の瞬発力が必要であったり、脳の使い方の工夫がいる作業もそうですし、それ以外の、たとえばシンクの洗い物や、洗濯物を干す、という作業もふくめ、脳のうまい使い方を求めて、瞑想をするようにしています。最近は、ビジネスの世界でも流行っているようです。

脳のうまい使い方を求めて、と書きましたが、コレはまた瞑想のひとつの到達点である「苦(ドゥッカ)」の軽減そのもので、すなわちそれが生産性のアップだったりします。私なりの解釈ですが。

たとえば、シンクの洗い物をしているときに「なんでオレはこんなに洗い物ためちまったんだろう」「メンドクセーな、うわ、早くかたづけてアレもコレもしなきゃなんないのに…」などと考えているよりも、洗い物そのもの、皿を持つ、スポンジでこする、流す、といった、ひとつひとつのアクションに集中したほうが圧倒的に効率的です。スピードもクオリティもぶっちぎりです。

ネガティヴなことであれ、全然べつのこと(晩飯の内容とか)であれ、洗い物そのもの以外のことを思考していることが「苦」そのものであったり、トリガーになったりします。

すこし広げると「頭上に落ちてくるかもしれない隕石」を想像して立ちすくんで、一歩も動けない。けれども、実際はそこに隕石なんて存在しない。というような、冷静に考えるとこういう滑稽なシチュエーションに居ることって多いのです。

イマジネーションは大切で尊いものですが、「存在しない悲劇的な未来」にどっぷり浸かるよりも、「いま、とるべきアクション」にフォーカスする訓練を、豊かなイマジネーションと連携させることが、もろもろの効率アップにつながるのではないかと思っています。

が…。そういうのを身につけたいなぁと思って取り組むのですが…。

「思考」をいったんストップさせて、いろんなものをひたすら観察するのが瞑想なのですが、いわゆる瞑想をしている時以外にも、自分の思考の流れや傾向を観察することが大切だったりします。

そうやって観察すると、自分の頭のなか、心のなかは、私の場合、不満や、いらだち、批判、要求、「足りない」、「もっと」、「〜だったらいいのに」、「なぜ〜じゃないんだ」、「なぜ〜してくれないんだ」などがパンパンになって、渦巻いていて、正直いたたまれない気持ちでガックリきます。

自分の正体が、実にいやらしいクレーマーみたいで、ホントにへこみます。音楽に役立てるどころではありません(苦笑)

瞑想の指南書なんかを読んでいると、そういう自分のなかのクレーマーみたいなのは、わたし自身ではなく、意識がそうやって気づくことで、そのクレーマーに乗っ取られないことが大事で、「こころ」を「思考」に乗っ取られないようにしているのだ、とありますが…。

いや~ツラい(爆苦笑)

そういう時は、利他的行動(「善行(クーサラ)」)に励めば、ざわつきは軽減されるそうなので、なんかやってみるかな、と思っています。たしかに、じぶんの脳力アップとか、苦の軽減とか、目指すものがオレオレ過ぎると自家中毒になりそうな気はします。利他的でなくとも、トイレ掃除とか、そういうのでオッケーらしいです。

さて、なにから始めようかしらん。

苦手どぁ〜。

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