作曲大喜利「アニソン編」は「ヒッパクマンの歌」

BabySnakeの新曲「ヒッパクマンの歌」です。
架空のアニメソングを作る、ということで、アレです。そうです、アレにしてみました。大好きです、愛してます。

文字通り状況は逼迫し、予断を許さない日々ですが、このような中で医療に携わる方々は本物のヒーローです。そしてヒーローには主題歌が必要です。(あとは名乗りのポーズなので、各自考案してつかあさい)

実はエンディング曲も作っておりますので、追ってアップしたいと思っております。

以下、関係する内容をつらつらと…。

今回は非常に難産でした。

まず、企画。ひとり会議を何度もひらき、現代のヒーローとはなんだ?との問いから開始。「現代の」ではなく「現在の」ヒーロー(和歌山弁では同じかもw)である、医療に携わる方々の主題歌が良いのではないかと発案。

ネット上などでも、医療関係の人を持ち上げて言葉ばかりキラキラさせる風潮にうんざりなので、歌をプレゼントしたいなぁと。余計なことかもしれませんが。

そこからは、また変な方向に走ります。じゃあ、どんな番組なんだと。医療現場のドキュメントじゃねえんだから、ひと味ちがったヒーローものにしないと。

まずギャグは必須。戦うメカはエクモでええんか?そらマズいか、とか。

敵は三人組の悪者集団。リーダーは絶世の美女、手下の男が二人、神経質そうなインテリと、筋肉バカ。これだけ揃えばオッケーだろうと。(実は細かい設定がたくさんあるのでED曲ができたらまたブツクサ書きます)

ではスポンサーはどこにするのか、ターゲットとなる視聴者層はどれくらいなのか?(たとえば私と同じくらいの年代のお父さん・お母さんとそのお子さん)そうか、ならばノスタルジックでかつ今を伝えるようなものにしよう、勧善懲悪の時代はすでに過ぎ去ったので、そこには敵が味方になり、味方が敵になる、また「敵」などは存在せず、自分の信念・使命をまっとうすることに集約されていくような展開を…みたいなことを書き連ね、第一話(パイロット)のシナリオまでざっくり作りました。

楽曲としては、あまたある「主題歌」をぐるっと回って、あるシリーズのマナーと様式(おんなじか)に沿ってぶちこんだ感じとなります。なぜかというと、あまり「勇ましい」が勝ってはイケナイと思ったからです。軍歌になっちゃうので。

内包されているのは「心地よいマンネリ感」。同年代の一部の方々にはまさに膝を打ってもらえるようなものを、と思いました。

まず、テレビ番組のオープニング曲をずらずらっと調べ、長さは1分30秒以内、ということで、ひたすら「削る」引き算の製作となり、とにかくいちばんカッコいいところに番組名、主役の名前がドーンと出る、あとはAパート、Bパートの歌い出しの言葉にも気を使いました。

Key=Bm、というのも、某シリーズからいただきました。シャープが2つなので、これは管の人はどうなんだろう…と思いながら。

どのパートもBmかEmでの始まりにしております。ブラスアレンジは、いつも自分の曲に入れる時はStaxというかメンフィス・サウンドというか1度5度で重ねるのが主流だったのですが、今回はべつにゴスペルでもないのだから、と積極的に7thとかも鳴ってます。とても歌謡曲的な色彩で、歌番組のバックっぽい音を目指しました。なってるかな?

「次回はアニソンで」と決まったその日に管弦楽法の書籍を買いあさり、とにかくブラスをアレンジしたいと思いました。

とにかく、ボカンとできたもののタイムを縮める作業が大変でした。iPhoneのボイスメモに入れた断片は1時間を超え(記憶力に難があるため、同じものが複数回入っているもの、ゴミに等しいものも多数含まれますが)、楽器も相当数入っていました。

マリンバ、ベル、アナログシンセのミョンミョン音、たくさんの効果音、すべて削りました。この尺になったあとも、たとえばブラスはもっと入っていたのだけれど、ほとんど削りました。まぁ、クドイですから。

とにかく、軸は番組の自己紹介、看板なので、とにかくそこの点と、歌詞には、なんとなく非日常の言葉を混ぜて、あとは最大の特徴である、どこか歌謡曲調のメロディ、思わず口ずさみたくなるけどけっこう手強い歌いまわしで。そしてそれをバックアップする以上の働きはオケから削除!削除!削除!と、プログレ好きからすると涙のにじむ作業でした。

それにしても、外堀を埋めるのが大変で、相当な難産でしたが、心いっぱいに、なんとも愛おしく、あの時代、テレビにかじりついていた山上少年の、キラキラした思い出を、すでにテレビをまったく見なくなった山上中年が懐かしく振り返りながら、心をアツくするものになって、評価はどうあれ、自分としてはなにかとても良いものができた気がします。

昨日は製作していたので聴けなかったけど、しょこたんのNHK-FMのラジオ番組「アニソンアカデミー」の出演者・スタッフ・ゲストの皆さんにスペシャルサンクス。

山本正之氏に宇宙的感謝と敬愛を。

1分30秒に宇宙と勇気とワクワクを。

チャンネル登録はこちら→bit.ly/2OXizTy

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第九話

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あけましておめでとうございます。(追記あり2021/1/8)

みなさま、あけましておめでとうございます。

去年はほとんどこのサイトを更新することなく日々が過ぎていってしまいましたが、今年はコンテンツを拡充していき、頻繁に更新していく所存であります。

まずは、2021年初頭は1/28(木)の銀座ロッキートップでのライヴとなります。

Facebook上でのイベント情報はこちら→fb.me/e/18hBcEwR8

[2021/01/08 追記・ご報告]
緊急事態行動要請により、ロッキートップは、2月7日まで営業時間が20:00まで(お酒の提供は19:00時まで)となりました。

1/28のライヴは、オープンを17:30、ライブスタートが18:00、終了20:00とし、お店のクローズもライブ終了と同時刻の20:00となりました。となりました。

なお、以前にもお知らせしましたとおり、お店では感染症予防対策がとられておりますが、連日の報道で示されているとおり、感染者数が増大しております。母数が多いということはリスクも高く、会場への経路に不安なども出てくるかと思います。その際はどうぞ安全策をおとりになってください。命や健康より大切なライヴ・コンサートなどそうそうございません。

とはいえ、わたくしは会場で準備万端にてお待ちしております。

みなさま、ご自愛ください。いずれにしても、笑顔で再会しましょう!

みなさま、今年もよろしくお願いいたします!

BabySnake (山上洋路)

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パガニー日記 Day 1

ニコロ・パガニーニ(1782-1840)の「24のカプリス」から5番を、映画「クロスロード」で編曲され「Eugine’s Trick Bag」というタイトルでスティーヴ・ヴァイさんが演奏したものを、大きくダウングレードして演奏しています。

毎日の練習の最後に何テイクか撮って日記としてアップしていこうという目論見です。基本的にBOSS GT-1を使ってライン録音すると思われますので、使用したパッチも掲載していきます。

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それは分割コントロールできるのか?

自律神経失調症、であるらしい。

交感神経優位、というのであって、いわゆる身体の中でオートメーションされているものに、意識が介入しまくってアレやコレやと過剰にコントロールしているような様子。

たとえれば、身体というものに対してデートDVerのような振る舞いを、脳が続けているといえばいいのであろうか。

結果、身体的な不具合が出る。

かといって、それはマインドセットが土台となっているのでなかなか一朝一夕でバツっと切り替えられるわけでもないところを、頑張って「リラックス、リラックス」などとやっていると「リラックスせねば!(ギラリ)」とか、まったく逆効果になってしまいがちで。

話は変わるが、私は実は地味に「今生での解脱(げだつ)」を、低めの温度で追っており、ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいる。

ヴィパッサナー瞑想は、本来の仏教の基幹となる修行で、アメリカ人が商品化してマインドフルネスという名前をつけたが、本来は解脱のための修行法である。

ものすごく大雑把に説明すると、すべての事象を指差し確認する、というようなことが実際のアクションになるのだが、たとえば自分の呼吸を観察して、それを意識的にラベリングする、というようなことになる。

ここが肝要で、私なぞは呼吸を観察するあまり、「吸う」「吐く」というのをもう、身体が勝手にやってくれなくなり、吸おうとしたり、吐こうとしたり意識しなければ行えない、放っておくと息がとまり、非常に苦しい、というくらいマインドが支配的になったりするのだ。難儀。

で、この観察であるが、呼吸や、呼吸にともなう腹部の膨張・収縮などを観察して、それを確認(ふくらみ・しぼみなどとラベリング)するのだが、割と微弱な身体感覚なので、うっかりすると寝て意識がはずれてぼんやり考え事(妄想)に向かってしまうのがつらい。それが修行ではあるのだが。

ある日(夜かもしれない)、さて瞑想でもするかと思った私は、開始早々に割と強めの尿意にさいなまれはじめた。そして「コレはいけるんとちゃうやろか」と大阪弁で考えて、「大阪弁で考えた」とラベリングしながら、観察する対象を「尿意」にした。とにかくこれはどのような尿意であるのか、どのような気持ちなのか、この感覚ははたして「痛い」のか「かゆい」のかそれとも他のいったい何なのか、というようなことを、考えるのではなく感覚ひとつひとつを言語化というか、単一のワードにして瞑想を続けた。

が、通常ならやり過ごせるであろう尿意が、瞑想を通じてじっくり観察することによりとてつもなく増大し、このままでは私の人生にK-Pg境界を発生しうるかもしれない恐怖の体内現象のようになってしまい、10分もたたずに瞑想を中断する羽目になってしまった。

ここでこの話が冒頭の話題に戻る。

かように、こと「出す」ことに関して立ち向かうには、我々の交感神経系、つまり制御体系・意識・理性・社会通念などは、悲しいほど脆弱あるいは無力であるということではないかと。

では、むしろ挑んでみようではないかと。

それは「大便の排出を途中でコントロールする(とめる)」つまり、脱糞をみずからの意思で中断して個室から退出する、というこころみである。

もちろん、勝算は未知数である。大体において検尿などのときにもその「中断」というアクションがとんでもなく苦痛であることは自明である。さらに大便コントロールなど、途方も無い修行に感じられる。

どうせ「リラックスしよう」などという、意識で意識を変える態度がそもそもナンセンスだ、というのであれば、大きな「敗北」という事件のまえに跪き、しかるのち仰臥してリアライズすることによってしか私は変わることができないのではないか、と思うのである。

そして今日は挑戦3日目である。

いまだ私はコントロール側の勝利を味わっていない。

私が感じたのは「あああああああ」ということだけである。

だが、挑戦を続けたい。

良い結果が報告できればこちらに掲載したいと思う。

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