話はすこし長くなります。
年末にかけ、シノギのお仕事の帰宅時間帯はたいていTBSラジオ「アフター6ジャンクション」を聴いていることが多いのですが、最近おもしろいのが『アトロク・ブック・クラブ』で、作家が自身の読書習慣などをお話するやつ。
このコーナー、10月に尾崎世界観氏が出演されていた回が、もう個人的になんとも痛快だったのですが、先日12/6に朝井リョウ氏が出演されまして、そこでご自身がはじめてハマった本、読書の原点として紹介されていたのが はやみねかおる 「名探偵夢水清志郎事件ノート」 でして。
そもそも、朝井リョウさんがこんなにおもしろい方、というのを知らなかったのですが、このときの紹介がたいへん良くて。さらに宇垣美里アナの食いつきがすごかったのがとても印象的でした。
番組のメインパーソナリティの宇多丸氏(と、ラジオ聴いてる私)は、ぜんぜん知らない本だったので、けっこうポカンとしていたのだけど、とにかく朝井氏の解説、宇垣氏のレスポンスの熱量が高く、なんとなく圧倒されるほどでして。
しかししかし、それにしても…
「あなたが初めてハマった本はなんですか?」
こんなに胸躍る問いがあるだろうか?と。
フッと我が身に問えば…『ドリトル先生』シリーズだろうか? それともやはり『ズッコケシリーズ』であろうか? 椎名誠氏のエッセイであろうか? もちろん、個人的な「書」の入り口は『昆虫の図鑑』だったかとは思うのですが。
ハマった読書体験…とくにジュブナイルものや、プレ・ティーンの同世代が躍動する作品の紹介や評論って、なぜにこんなに楽しく、胸揺さぶられるのでしょうか。
たしかに壮年期や老境にいたって夏目漱石『三四郎』を初めて読むのと、十代の頃に読むのとでは、やはり心への入射角が違うと思うのであります。
ほかにも靴箱に本をしまう話とか、とにかく面白い放送だったのですが、心に焼き付いたのはこの『清志郎』のはなし…。
で、私の心の声はいつものセリフを言うのです。「これは、買わな。」
まぁ、買わな、というか「読まな」なのですが、ここんとこ古書店や図書館へ行く暇も隙もなく、こういう場合はもうKindleや…と。
わずか数行前に「三四郎は十代で読まなきゃ」みたいなことを書いておいて即翻す展開ではあるけど、まあ。
「買わな」のポイントはいくつかありまして(物欲のエクスキューズともいいますが)大きなポイントとしては…
・ミステリである
・語り手が女の子
・子供向け
ということが刺さるところ。
まず、私は歳を重ねるごとに、ミステリとノンフィクションに傾倒しているので、やっぱりそういうテイストがあると嬉しい。
そして縁あって、3歳女児に絵本を(たまに)送ったりしていて、幼い女の子を本好きにさせる作戦を日々(というほどでもないが)練っていまして。
そこで、インデックスが霞みつつある、自分の脳内本棚から対象となるような本を自分の記憶の中から手繰り寄せてはいたのです。
今回、朝井リョウ氏のような、面白い作品を書く面白い作家さんが、ガンガン推している作品ならば、読めば本好きになってくれるのではないか、そのためには自分も読んでしっかり推せるようにならねば、というようなことで。
こうして、50の声をきくおじさんが、この「少年少女がはじめてハマった本」に、われもハマらん!と、鼻から生暖かく湿った空気を吐きながら、信号待ちで iPhoneの「メモ」によどみなく「はやみねかおる」「名探偵」と入力しまして。
そして、おじさんなりにいろんなことに忙殺された挙げ句、やっとこさ先日購入。
もうこうなったら、1冊1冊は買ってられねえ、ということで 「全部入り」 をポチ。そう、「名探偵夢水清志郎事件ノート1~12+外伝2冊 全14巻合本版」 というのをガバっと。
¥6,952だが、Amazonポイントが2,781つくから、本が14冊で実質 ¥4,171。ええやん、と。
しかし単純に割ると1冊約298円。ちょっと泣いちゃうくらい安いよ。…Amazon ポイントはすぐにネコ砂の購入に消えましたが、まぁ人生とはかくの如しでおま…。
で、もったいないことに昨日、1冊目をいきなり読み終えてしまいました。
期待を裏切らない面白さ!
とある地方都市でおこる連続誘拐事件、変なおとなと、女の子たちが「夏休み」を駆け回ります。
やさしい文体で、とてもヴィジュアルな表現。「事件」の演出もド派手で痛快なのがいい。
なにより、ミステリ作品にありがちな「トリックを完成させるための部品」の登場人物が少なく、人物、ことに大人たちの造形や描写が、多面的・多重的でやさしいところが、とても魅力的。
若年層向きの作品で人物を多面的に描くと、(土壇場でひっくり返す、のはよくある)理解に混乱が生じたり、ストーリーの道筋を困難にしてしまうおそれがあります。
しかし、ひとつそれを逆手にとって、というか、ミステリの謎があばかれるかのごとく、大人たちの立ち位置や、心のレイヤーが表現されていきます。
子どもたちからすると、言うこととやることがチグハグな「大人」というものが、すでにトリックのないミステリなんだ!という、ひとつの多重構造ともいえる描写の豊かさ。
これには、なんというか、大人を嫌いになってほしくない、大人たちと残念な対立をしてほしくない、という著者の気持ちが伝わってくるようです。
そうなんだ、荒木飛呂彦先生もおっしゃっている「大人は嘘つきではありません、ただ間違いをしてしまうのです」というようなトーン。
まぁ、この小説のなかで大人たちは「失敗」はするけどまだ「間違い」はしてないと思うけどね。
そんな中で「はみ出した大人」がハーメルンの笛吹き男のように子どもたちを冒険へいざない、はみ出してない方の大人が巻き込まれていく。
そして「わたしはわたし」という、子ども、というか、若い人間のなかで生まれ大きくなってくる「自己」との対峙も、さらりと描かれていきます。
メディアに載るような特別な人たちと「普通」なわたしたち。「質」のちがいとはなにか、ちがわないことはなにか。
「誰が何と言おうと、僕は、僕が名探偵だっていうことがわかっている。だからへっちゃらさ」という、いわば勇気のテーゼは主人公につたわり、もう1人のキヨシローが歌う「君が僕を知ってる」につながる。
もちろん、キラキラと宝石のように散りばめられた名作ミステリや文学へのオマージュ、とにかく本読みにいざなおうとするエネルギーがあふれています。
このような教育的サービス精神、いや「教育的」というとなんだかイヤらしいけど、なんというか「読書ナビゲーターとしての矜持」が、嫌味なくエンタメ的要素としてまんべんなくまぶされているのが、これは大人目線だけどとてもワクワクします。
大人が読んでも、とまらない。さすが足掛け15年にわたって刊行されて、シリーズ累計360万部突破、というだけはあります。
子ども向け、かつミステリという、加算すると「子供だまし」という言葉になってしまうものだからこそ、いっさい「子供だまし」がないということになっていて、すばらしい。
このペースで読んでしまうともったいないので、ゆっくり読み進めることにしよう。嬉しいことに、あと10冊以上ある!
…しかし、老境に至って『三四郎』を初読して、心に水気が戻ってくる、みたいな体験もとてもいいなあ、と。書いてることに反することがポーンと浮かぶ。そう思うと、これから出会う本も楽しみだ。