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あけましておめでとうございます。(追記あり2021/1/8)
みなさま、あけましておめでとうございます。
去年はほとんどこのサイトを更新することなく日々が過ぎていってしまいましたが、今年はコンテンツを拡充していき、頻繁に更新していく所存であります。
まずは、2021年初頭は1/28(木)の銀座ロッキートップでのライヴとなります。
Facebook上でのイベント情報はこちら→fb.me/e/18hBcEwR8
[2021/01/08 追記・ご報告]
緊急事態行動要請により、ロッキートップは、2月7日まで営業時間が20:00まで(お酒の提供は19:00時まで)となりました。
1/28のライヴは、オープンを17:30、ライブスタートが18:00、終了20:00とし、お店のクローズもライブ終了と同時刻の20:00となりました。となりました。
なお、以前にもお知らせしましたとおり、お店では感染症予防対策がとられておりますが、連日の報道で示されているとおり、感染者数が増大しております。母数が多いということはリスクも高く、会場への経路に不安なども出てくるかと思います。その際はどうぞ安全策をおとりになってください。命や健康より大切なライヴ・コンサートなどそうそうございません。
とはいえ、わたくしは会場で準備万端にてお待ちしております。
みなさま、ご自愛ください。いずれにしても、笑顔で再会しましょう!
みなさま、今年もよろしくお願いいたします!
BabySnake (山上洋路)
パガニー日記 Day 1
ニコロ・パガニーニ(1782-1840)の「24のカプリス」から5番を、映画「クロスロード」で編曲され「Eugine’s Trick Bag」というタイトルでスティーヴ・ヴァイさんが演奏したものを、大きくダウングレードして演奏しています。
毎日の練習の最後に何テイクか撮って日記としてアップしていこうという目論見です。基本的にBOSS GT-1を使ってライン録音すると思われますので、使用したパッチも掲載していきます。
それは分割コントロールできるのか?
自律神経失調症、であるらしい。
交感神経優位、というのであって、いわゆる身体の中でオートメーションされているものに、意識が介入しまくってアレやコレやと過剰にコントロールしているような様子。
たとえれば、身体というものに対してデートDVerのような振る舞いを、脳が続けているといえばいいのであろうか。
結果、身体的な不具合が出る。
かといって、それはマインドセットが土台となっているのでなかなか一朝一夕でバツっと切り替えられるわけでもないところを、頑張って「リラックス、リラックス」などとやっていると「リラックスせねば!(ギラリ)」とか、まったく逆効果になってしまいがちで。
話は変わるが、私は実は地味に「今生での解脱(げだつ)」を、低めの温度で追っており、ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいる。
ヴィパッサナー瞑想は、本来の仏教の基幹となる修行で、アメリカ人が商品化してマインドフルネスという名前をつけたが、本来は解脱のための修行法である。
ものすごく大雑把に説明すると、すべての事象を指差し確認する、というようなことが実際のアクションになるのだが、たとえば自分の呼吸を観察して、それを意識的にラベリングする、というようなことになる。
ここが肝要で、私なぞは呼吸を観察するあまり、「吸う」「吐く」というのをもう、身体が勝手にやってくれなくなり、吸おうとしたり、吐こうとしたり意識しなければ行えない、放っておくと息がとまり、非常に苦しい、というくらいマインドが支配的になったりするのだ。難儀。
で、この観察であるが、呼吸や、呼吸にともなう腹部の膨張・収縮などを観察して、それを確認(ふくらみ・しぼみなどとラベリング)するのだが、割と微弱な身体感覚なので、うっかりすると寝て意識がはずれてぼんやり考え事(妄想)に向かってしまうのがつらい。それが修行ではあるのだが。
ある日(夜かもしれない)、さて瞑想でもするかと思った私は、開始早々に割と強めの尿意にさいなまれはじめた。そして「コレはいけるんとちゃうやろか」と大阪弁で考えて、「大阪弁で考えた」とラベリングしながら、観察する対象を「尿意」にした。とにかくこれはどのような尿意であるのか、どのような気持ちなのか、この感覚ははたして「痛い」のか「かゆい」のかそれとも他のいったい何なのか、というようなことを、考えるのではなく感覚ひとつひとつを言語化というか、単一のワードにして瞑想を続けた。
が、通常ならやり過ごせるであろう尿意が、瞑想を通じてじっくり観察することによりとてつもなく増大し、このままでは私の人生にK-Pg境界を発生しうるかもしれない恐怖の体内現象のようになってしまい、10分もたたずに瞑想を中断する羽目になってしまった。
ここでこの話が冒頭の話題に戻る。
かように、こと「出す」ことに関して立ち向かうには、我々の交感神経系、つまり制御体系・意識・理性・社会通念などは、悲しいほど脆弱あるいは無力であるということではないかと。
では、むしろ挑んでみようではないかと。
それは「大便の排出を途中でコントロールする(とめる)」つまり、脱糞をみずからの意思で中断して個室から退出する、というこころみである。
もちろん、勝算は未知数である。大体において検尿などのときにもその「中断」というアクションがとんでもなく苦痛であることは自明である。さらに大便コントロールなど、途方も無い修行に感じられる。
どうせ「リラックスしよう」などという、意識で意識を変える態度がそもそもナンセンスだ、というのであれば、大きな「敗北」という事件のまえに跪き、しかるのち仰臥してリアライズすることによってしか私は変わることができないのではないか、と思うのである。
そして今日は挑戦3日目である。
いまだ私はコントロール側の勝利を味わっていない。
私が感じたのは「あああああああ」ということだけである。
だが、挑戦を続けたい。
良い結果が報告できればこちらに掲載したいと思う。
ソーダブレッドを作った
友人のカズマという男が一時期ハマっていたアイルランドの郷土料理であるところのパン。
イーストで発酵させるのではなく、重曹(炭酸水素ナトリウム)で生地を発泡させて作る、というものであるが、実際に重曹で作ると苦い、という触れ込みだったので昨日ベーキングパウダー(で代用するとよいとネットで見た)を探したが見つからなかったので、やはり重曹で作ったらやはり苦かった。そのうえ、なにかイオウ臭のようなフレーバーが。
しかし、たいへんに美味しかったので、また作ろうと思う。
※ネットで流布しているレシピよりも油を控えめにしたら、生地がまとまりにくかったので、次回はもう少し油を加えよう。
カテゴリー: 深夜の調理実習, 食にまつわるあれやこれ
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