かれこれ、3年から4年くらい、酷い頭痛に苦しめられていた。
元々、頭痛もちではあったのだけど、40歳を過ぎたある日、突然起き上がれないほどの頭痛に見舞われた。
偏頭痛?筋緊張性頭痛?
脳外科でMRIを撮るも、異常はなし。なので、治療というのは行われない。とにかく、痛み止めを処方され、我慢するだけ。
ワグナーの曲みたいな名前の新薬や、カイロ、整体、鍼灸、波動測定、漢方。もう本当にさまざまな治療を試したが、結果から言うと、頭痛を治すに至らず、効果なし。
そうすると、こんだけ色んな人が紹介してくれたり、親身に相談に乗って施術してくれたり処方してくれたりしている方々に対して、治らない自分が申し訳なく、なにか治らないことが、悪いことをしているかのような感覚になっていった。
自分が情けなくなり、すべての治療を、やめた。
とにかく頭痛というのは陰湿な病気というか身体の不具合で、外からはその苦しさは分からないし、苦痛を訴え続けるとウザがられる。
頭痛の威力はすさまじく、全身のちからを奪われる。起きていられない。なにもできない。吐き気、腹くだし、とにかく動けない。最初はコンピュータ関係がダメになり、そのうち力仕事も無理になった。
が、しかし、とにかく、人に会うと頑張ってしまうので、頭痛があるように見られない。上記の理由から、面と向かって人に自分の不調を声高に訴えるのが恐怖でもあるので、分からないように頑張ってしまう。実際に脳からなにか防衛のための物質が出ているのだろう。
だから、打ち合わせに行って軽々と引き受けたことが実現できない。上記のコンディションにより、その時は自分でもできると踏んでいるものだから、実にタチが悪い。
引き受けた仕事をキャンセル、レッスン受講もドタキャン。差し詰め私の頭上には「信用ならないブタ野郎」と書かれた電光掲示板がくるくる回りながら輝いていたに違いない。
「プロの条件が何かと問われれば、その日、その時間に、そこに居るということ、につきる」と、師匠の山口岩男氏が、かつてレッスンで私に伝えてくれた事がある。
そうなのだ。収入がなくなる、というような事よりも、なにが厳しい、恐ろしいかというと、ジタバタすらできないまま、布団の中で平泳ぎをしているうちに、信頼や信用が目の前で失われていく、という地獄だった。
ジャニスよ、コレか。生きながらブルーズに葬られるというのは。
まだ、実際に人に会うと、頑張ってしまって安請け合い(と、本人は思っていないのだが)してしまう習性がなければマシだったかもしれないが、とにかくもう完全にダメになっていた。
結局、あらゆる医療行為、治療、施術、処方のなによりも「時間」が私を頭痛から解放してくれた。
ある日気づく、そういえば頭痛くない。
これは、単に時間のものなのか、あるいは原因をストレスと断じられる事も多かったので、あまりにも厳しい時間とともに、色々な物事を諦めて、ギブアップしてしまったおかげなのか。
あるいは、男性更年期と言われる、加齢による心身の曲がり角(変化)へのアジャストの過程だったのか。
いま、健康を噛み締めながら思う事が色々ある。
心理的にポジティヴになったなぁ、と言うよりは、ネガティヴに落ちきれなくなった。どこかでアホなことを考えてひとりでに笑い出している。
そして、結果的に…
頭痛は、私から金を奪ったが
頭痛は、私から友達を奪うことは出来なかった
頭痛は、私から仕事を奪うことは出来なかった
頭痛は、私から音楽を奪うことは出来なかった
頭痛は、私から作る喜びを奪うことはできなかった
頭痛は、私から大切な人を奪うことはできなかった
頭痛は、私から私の価値を奪うことは出来なかった
だけど、私のまわりの人々のあたたかい助けを、一生忘れることはできない。
もう二度とゴメンだけど、次また来たって負けない。
最初からニヤリと笑って「キッツいなぁ、せやかてコレもまた、芸の肥やしやよってになぁ」とほざいてみせるさ。