なけなしのアウトプットを続けるしかない。

池谷裕二さんの講演を聴く (内田樹の研究室)
blog.tatsuru.com/2010/07/11_1220.php

唸ってしまった。これって、ギターのアドリブ演奏の習得とすごくカブる。

どれだけ多くのコードやスケールの知識を、理論書なり、雑誌の譜例なりから得ていても、「やらんとなにもおこらない」。そして「やってるやつ」には敵わない、というか、知識や情報からはずれて「やってみる」がないと、永遠に扉がひらかない。譜例を弾くのはアドリブではないから。

たとえペンタだけでも、いや、三音だけのトライトニック・スケール(そんなもんはないか)でも、無我夢中で「やってる」やつは違う。同じ曲(特定のキーにおける同一のコード進行)を、なんか自分のどこかが擦り切れるくらい聴きこんで、自分が出した音の「気持ちええ」か「気持ち悪い」かをポジションで覚える、それだけでもう、数やっていればアドリブになる。少ない情報量でも、そのなかでとにかくやってみる、が、ないとまったく駄目な世界。

それこそ、スケールなんて知らないで始めて、あとで確認して「ああ、こういう事だったのか!」があったほうが限りなく吸収率がいい。むしろスタート時には情報が少ないほうがいい。もちろん、そこから勉強して広げていかないといい物にはならないのは万事共通。

音楽は始まってしまうと、もう終わるまで時間の経過とともに進んでいく。だから、始めてしまえば「弾かなしゃあない」し、それはチャリンコと同じ。足を離せば「漕がなコケる」のであります。

言ってみれば、アドリブに「できない」はなくて、「やってない」か「やってる」か。だから、「アドリブ、でけしまへんねん」から、まずは「アドリブ、してまんねンけど、なんかもっさいンですわ」に入らないと、つぎの輪廻まで習得をのばさざるをえないのですね。

…しかし、リンク先読んでいると、私もつくづく、例えば「聴いたら、パン屋を襲撃したくなる」ような、なにか人にフィジカルな影響をおよぼすパワーのある音楽をやらんといけませんなと思います。その点、東海林さだお先生は本当の巨匠だなぁ。

カテゴリー: 音楽談義 タグ: , パーマリンク