個人的なことで恐縮ですが、ただひたすら失意のまま過ごした8月が終わりまして、思うようにならないながらもぎこちなく動き出し、よたよたと這いまわっておりますベビスネです。
表題のとおり、この週末に移動し、チェンバロ の加久間朋子さん、リコーダー の辺保陽一さん、さらに千葉県八街市のご当地キャラ、ぼっちくん&ピーちゃんナッちゃんとともに、岩手県は南三陸、大船渡市へ演奏に行ってまいります。
大船渡といえば、言わずもがな、先の大震災で、津波による甚大な被害をうけた地域です。そして手弁当でチェンバロを積んで走っていきまして、これはチャリティの一種ではあるのですが、大上段から「元気をあげる」というような、そういう感じとはちがう感じで、とにかくエンタテイメント、音楽を演奏しに行ってきます。何より、大船渡の人たちにお会いしたいです。
日程と場所は以下のようになります。
9月21日(日) 11:00〜、13:30〜、15:00〜 南三陸ショッピングセンター サン・リア 1階『いこいの広場』(詳細はこちら)
9月22日(月) 10:30~11:30 長洞仮設住宅団地サポートセンター
※いずれも入場は無料です。
※9月20日には、魚市場と津波伝承館へ見学に行く予定です。
また、わたくし古楽研究会 Origo et Practica 主催の、復興支援チャリティ・ワンコイン・コンサート に2回出させていただいたのですが、そちらの代表でもあるチェンバロの加久間さんは、神奈川県の相模原市にお住まいで、相模原市はともにJAXAの施設のある大船渡市と銀河連邦というつながりがあることから、市会議員さんにコンタクトをとられ、大船渡市役所のはからいもあり、仮設住宅団地での演奏会が実現しました。
市議さんがブログを上げてくださっています
→「ご相談から始まったメッセージが被災地支援コンサートの実現につながりました!」 – 市川 けいのブログ 相模原市議会議員(南区選出)
色々な思いがあります。グラっと揺れたその日その時から。
そして、悔しいような、あっという間に時間が経ち、まぁ予測できた範囲ではあるのですが「震災、復興」と口にするだけで「またか」「もうそれ、いいよ」と眉間にシワを寄せる人もちらほら現れています。
思いは色々とまだらにうつろいます。わたくしベビスネは、阪神・淡路大震災のとき、実家で被災しました。とにかく体験したことのない揺れでした。建物に直接影響はなかったものの、商売をやっていた店内はグチャグチャになり、食器は軒並み割れ、本棚は倒れ、家中の機器はものすごい音をたててみな床に落ちました。地震そのもに慣れのないこともあって、家族全員、たいへん怖い思いをしました。
数カ月後に、近所のグラウンドに仮設住宅ができました。家の商売を手伝ったりしていたので、仮設住宅に配達に行くこともけっこうありました。あたりまえのことですが、そこで生活するみなさんは、みなどこか遠くを見ているような、この暮らしが本当に自分たちのものでないような、ここに居る自分たち自身も自分自身でないような、そういう雰囲気をもっていたことが印象に残っています。
今おもえばのことではありますが、震災後の暮らしのなかでも辛かったのは、友人の自宅が半壊してしまったり、遠からずの関係の方が亡くなられたり、連日の報道を耳に目にしたりするなかで、とても怖かった、たいへん辛かった、今も傷跡ののこる自分の被災体験と、もっと、途轍もない被害にあった人たちや亡くなられた方々のそれとを比して、そんなのはぬるいと感じたり、なぜ自分が生きているのだというような問いに発展したりして、それがいつまでも続いたことです。
それでも、そんな中でも、やはり恐ろしい体験をもてあまし、家族が集った時、いつもいつも、繰り返し地震の話を、それこそ何年も何年も繰り返し同じはなしをみんなでしました。思えばあれはひとつのセラピーだったのかもしれません。ただ、それでさえもう、ぼくらはラッキーなだけで、地震のはなしなど、二度と話したくもないような思いの人たちもいるのだなぁと、そういう考え方が生まれて、そうやって煮詰まっていくほどに、人と人が分断されていくのかもしれないと。こういう時に「あいつらは、君らより軽い被害のひとたちだから」と吹き込んで僕らをバラバラにしていく、そういう人たちが現れるかもしれないと、薄ぼんやりと感じたりしました。
あらゆる段階の人たちが、そういう狭間にいて、さらに苦しんで、日々傷ついていたように思います。
災害時の体験に、まったく同じものなどあるはずもないのですが、その狭間というのは、またたいへんにモヤモヤと重苦しく、まだらになり、日々を生きる私達を今もって蝕み続けます。
だから、せっかく音楽をしに行くのだから、お見舞いは、もちろんたくさんたくさん、胸いっぱいそのキモチはあります。でも、それはここに置いていって、当日ぼくらは音楽だけをちからいっぱい届けたい。そのモヤモヤと重苦しい今日、いまを、すこし手放して、一緒に音楽の時間を過ごしたいと思っています。
なぜなら、ぼくらは、生き残った。
その時だけは、生き残ってしまった、ではなく、生きていることと共にありたいです。
蛇足ですが、ずっと宮沢賢治ファンです。
花巻ならずとも、岩手に足を踏み入れるたびに深い興奮を覚えます。
何もできやしないことだって受け入れるけども、なんでもいいから、何かすることを諦めきるには世界にはまだちょっと隙間がありすぎるのさ。
そしてまた個人的なことで恐縮ですが、本日、父の満70歳の誕生日です。
おめでとう、お父ちゃん。
町じゅう、いろんなところで溝とかフェンスとか生コンとかにハマりこむ僕を、C50(カブ)に乗って颯爽と助けに来てくれたあなたは、僕にとって仮面ライダー(当時はスカイライダー)よりもヒーローだ。
不肖の息子は不精のまま、ケッタイな大人になって、こんなことやってるけども…