[ライヴ告知] 2012-11-29 @銀座RockyTop 年末直前スペシャル 「師走だョ!BabySnake」

BabySnake(G/Vo)の多分今年最後の銀座ライヴ!

年末直前スペシャルと銘打っておりますが、特に変わったことはヤラない予定のスペシャル。つか11/29はまだ師走じゃねぇんスけど。

いつものオリジナル曲にくわえ、「Radioベビスネ」なるコンセプトの元、あんな曲やこんな曲、ええ?そんな曲まで!といった感じで演奏します。
www.liverocky.com/html/index03non.html

1st Stage: 19:30-20:10
2nd Stage: 20:40-21:20
3rd Stage: 21:50-22:30

RockyTopのサイトのトップから「お会計10%オフ」のクーポンを是非プリントアウトしてご来場ください!(画像表示されませんが、大丈夫と思います)
www.liverocky.com/

皆様のご来場、お待ちしております。

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ライヴが一週間後です!!

9/20のロッキートップでのライヴが一週間後にせまっておりますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
こんばんは、ベビスネでございます。

今朝はなんだか、いてもたっても居られなくて(?)無性に聴きたくなって、David Bowieの「スケアリー・モンスターズ」を出勤時にiPodでガンガン再生していたんですが…。

で、気になって調べたら今日(9/12)って、そう、「スケアリー・モンスターズ」の発売日(1980年9月12日)なんですねー。虫の報せ?いや、そんなんゆわへんか…。

中学生の時、NHK-BSでのライヴの録画、ボウイの「Glass Spirderツアー」を見て、自分でロックやりたい!と本格的に目覚めさせられちゃった僕にとっては、もう拒絶不能の傑作中の傑作アルバムであります。

その後、VHSテープが劣化して、画像がぼやけるくらい繰り返し観たライヴツアーの内容は、当時のボウイの集大成的、そして過剰にショーアップされていると批判された(なんとピーター・フランプトンやチャーリー・セクストンがゲスト!)ものだったのですが、僕にとっては、演劇的なステージ構成と、ボウイのヒット曲をそのストーリーにちりばめた「ロック歌謡ショー」とでもいうべき楽しく、サービス精神とアーティスティックな側面の融合が素晴らしくて、そして何よりも、その音楽にぶちのめされました。

そのステージでのパフォーマンス、そして、そのあとチャリをこいでニッポー(レンタルCD屋…時代を感じさせるなぁ)で借りてきたベスト盤「Changesbowie」でも強烈に印象に残ったのがこのアルバム収録の「Fashion」(ロンドンオリンピックの閉会式でも流れていました)と、とりわけそのギターのサウンドでした。

当時、どれがギターの音かもよく解っていなかった僕ですが、あの叫び、切り裂き、計算ずくかつ無遠慮に神経を逆撫でするような、それでいてこちらの音楽的性感帯を直撃するサウンドと音の並び、それがものすごく、もうなんというか、未成年にはちょっとマズいような、そういったロックの「毒」に急速に染まっていきました。

実は、このへんがアレだったのですが、それから何年か後になって見事に僕は、毎日King Crimsonを聴く「たわけたプログレ好き兄ちゃん」に成長してしまい、さらにちょっと後になって「あの音」の正体がロバート・フリップだったことに気づいたのです。

遅っ!!!

でも、その時僕はなんだか、自分の「好き」という感覚にブレがない事を誇らしく思いました。ニブいのと不勉強には焦りましたが。

アルバムを聴くと、また単発であらわれるのと違う、タテ串に対するヨコ串が現れてきて、その時代に生まれたもののアソートとしてのパワーが伝わってきます。(すいません、流れ的にオンタイムで体験していないのでこういう味わい方になってしまいやす)

のっけから日本語(Michi Hirota女史によるナレーション)が飛び出してきて、なんか、いかにも80年代的、子供の頃の資生堂やサントリーのCMのような雰囲気へドカンと飛ばされるのですが、これがまた、というかその資生堂だのサントリーだのの空気を、後々かたち作る、時代の風をおこしたのがボウイやこのアルバムにほかならないわけなんですが。

がしかし、このナレーションも、80’sキッチュな外装に彩られているものの、少し観察してみればその中になにか途轍もない怒気と狂気が、そして耳をつんざく騒音と静寂が内包されていることに気づき、それは実はアタマが気づく前に精神が反応しているので、この後展開されるフリップのギターと、「まるでフリップのギターのような」ボウイの冷ややかかつ激しい歌唱による「病んだデュエット」と、無意識下で融合され、それはアルバムの最後まで、フリップのもたらしたテクスチャだけでなく、チャック・ヘイマーのギターシンセも、すべてが何か「不整合から生まれる整合性」や「不合理に彩られた冷徹な合理性」みたいなひとつの軸を引っ張り、完結させるキーとなっています。

そういう意味では…やはりキャスト的な要因ですか。このニューウェイヴ色が強いアルバムの中に脈々と流れているのは実は「スキゾイドマンあるいは宮殿」といった’60テイストなのかも知れない…と思ってしまいます。

聴くたびにひっくりかえる、そして気持よくてぽわーっとなるアルバムですが、デイヴィッド・ボウイというアーティストは、アルバム1枚やその方向性、いやむしろ「音楽」「ロックスター」「カルトヒーロー」という切り口だけで語ることさえ拒絶するような、なにかアートと、超巨大化したコマーシャリズムの複雑な融合体みたいな存在ですが、僕にとってはこのアルバムにちりばめられたサウンドや音楽が、今もってなお途轍もない影響を受け続けているボウイ(と、King Crimson :笑)への入り口であり、同時に出口でもあるのです。

毎日聴きたいですww

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帰宅!

8/10から、すこし持ち場を離れて、8/11の伊豆大島夏祭りに「大島吹奏楽団」の助っ人としてエレキギターを演奏するために出かけ、リハに参加し、本番に演奏し、さらに島をしばらくうろつき周り、あげく熱海経由で本日までそこらをほっつき歩いておりました。

けっこういろんな編成のところでギターを演奏してきましたが、ブラスバンドと共演は生まれて初めてでした。先述したキーの感覚も含め、自分としては力及ばず…な手応えな部分もありますが、皆さんに歓迎してもらい、外部からのエネルギーというか、いいスパイスになれたようでしたので、まずまず、よかったかなと思っております。

さて、当日演奏したのは

1. ルパン三世’78 (東京スカパラダイスオーケストラ)
2. 歩いて帰ろう(斉藤和義)
3. A列車で行こう(デューク・エリントン)
4. In the Mood (グレン・ミラー)
5. Fantasy(熱帯ジャズ楽団/アース・ウィンド・アンド・ファイアー)
6. また逢う日まで(尾崎紀世彦)
7. [Encore] Sing, Sing, Sing (ベニー・グッドマン)

お祭りを満喫しようと集まった、道行くみなさんに立ち止まってもらえるか!?というところがポイントでしたが、どうやらなかなかの良い反応を得られたようです(やっている本人はもうなんだかわからない状態でしたww)

とにかく、主役は管!そして4リズムがそれを支える、というのがこれまた面白くて面白くて…。

ただ、くどいようですが、キーが慣れないのと、スウィングなので、ジャズよりのヴォイシングということで、どうもポジションが不安になったりしてヘンなタイミングで指板見て、ズッコケそうになる瞬間が多々ありまして(というか何回か明らかにコケてましたすいません)なんともかんともいやはや…でありました。

また呼んでもらいたいなぁ!(個人的なリヴェンジの気持ちも含む)

というような感じでしたー。

[追記]
伊豆大島には、8/10の早朝に到着したのですが、泉津というところから日の出を見ました!
天気もよく、非常に美しく撮れましたので、おすそわけ!

伊豆大島の日の出

伊豆大島の日の出

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BbとかFとか

この土曜日は、南の(っても、そんなに南でもないが)島にてギターを弾きます。

で、課題曲(っていわないね)をiPhoneに入れて、イヤフォンさしながら楽譜を通勤時間ににらんで、仕事終わったら練習というサイクルなんだが。

基本やっぱりロックな人なので、EだのAだのCだのGだの、っていういわゆるギターで比較的演奏しやすい(弾きやすい)キーの曲を演奏することが多いのですが、今回は管が主役の編成ですので、どうしてもフラット系のキーが多くて、和音とかオブリのところで、「ん!」となることが多い。

ギターなんて、まぁでも言ったらハノンですから、指板の上を平行移動すればキー自体は、鍵盤楽器のように発見黒鍵入り乱れて、視覚的にアッハン、みたいなのはないのですが、それはそれで特性というか、「圧倒的に開放弦が使えない」という制約が出てくるのです。

すると、和音を弾く際には、バー・コードの比率が多くなって、そこへ突然オープンコードが出てくるとサウンド的にちぐはぐになってしまうので、どちらかというとコードフォームでズバンと弾いてしまうのではなく、曲にマッチするように、あるいは演奏としてのつながりを探りながら、四声体のハーモニーを指板上に作って行く作業になります。

楽しいですけど、なんかやっぱりそうやって作ったサウンドって、どこかジャジーな感じとかして、ロックのおバカな「ジャキーン」という音とかなり異質なのです。

そうか、ある程度アタマではわかっていたけども、ギター・オリエンテッドなロックってやっぱりオープンコードのサウンドの役割がすっごく大きいんだなということを再認識。

やっぱ、そういう意味でロック的なサウンドを知り尽くした人は凄みがちがうなーと。
思いつくのは、ピート・タウンゼントや、デイヴ・グロール。もちろん、ジミー・ペイジもなんだけど。

うーん、いまはしばし、そのジャジーというか歌謡曲というか、密度の高い世界を楽しみますが、またすぐに「カタルシスに次ぐカタルシス」「どうだホラsus2だsus4だドカーン」みたいな世界に戻ってきたいと思います。いや、ジャジーなの大好きなんですけどね。管とやるのも最高なんですが。

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レクイエム

ジョンのこの、サイケデリック前夜の歌は、生きることと鎮魂のふたつの方向性の、とても美しい融合だと思う。

デイヴ・マシューズの歌うこのヴァージョンもまた素晴らしい。
鎮魂歌を唱じたジョンへの鎮魂。

美しいとは、こういうことを言うのだね。

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