ニコロ・パガニーニ(1782-1840)の「24のカプリス」から5番を、映画「クロスロード」で編曲され「Eugine’s Trick Bag」というタイトルでスティーヴ・ヴァイさんが演奏したものを、大きくダウングレードして演奏しています。
毎日の練習の最後に何テイクか撮って日記としてアップしていこうという目論見です。基本的にBOSS GT-1を使ってライン録音すると思われますので、使用したパッチも掲載していきます。
ニコロ・パガニーニ(1782-1840)の「24のカプリス」から5番を、映画「クロスロード」で編曲され「Eugine’s Trick Bag」というタイトルでスティーヴ・ヴァイさんが演奏したものを、大きくダウングレードして演奏しています。
毎日の練習の最後に何テイクか撮って日記としてアップしていこうという目論見です。基本的にBOSS GT-1を使ってライン録音すると思われますので、使用したパッチも掲載していきます。
自律神経失調症、であるらしい。
交感神経優位、というのであって、いわゆる身体の中でオートメーションされているものに、意識が介入しまくってアレやコレやと過剰にコントロールしているような様子。
たとえれば、身体というものに対してデートDVerのような振る舞いを、脳が続けているといえばいいのであろうか。
結果、身体的な不具合が出る。
かといって、それはマインドセットが土台となっているのでなかなか一朝一夕でバツっと切り替えられるわけでもないところを、頑張って「リラックス、リラックス」などとやっていると「リラックスせねば!(ギラリ)」とか、まったく逆効果になってしまいがちで。
話は変わるが、私は実は地味に「今生での解脱(げだつ)」を、低めの温度で追っており、ヴィパッサナー瞑想に取り組んでいる。
ヴィパッサナー瞑想は、本来の仏教の基幹となる修行で、アメリカ人が商品化してマインドフルネスという名前をつけたが、本来は解脱のための修行法である。
ものすごく大雑把に説明すると、すべての事象を指差し確認する、というようなことが実際のアクションになるのだが、たとえば自分の呼吸を観察して、それを意識的にラベリングする、というようなことになる。
ここが肝要で、私なぞは呼吸を観察するあまり、「吸う」「吐く」というのをもう、身体が勝手にやってくれなくなり、吸おうとしたり、吐こうとしたり意識しなければ行えない、放っておくと息がとまり、非常に苦しい、というくらいマインドが支配的になったりするのだ。難儀。
で、この観察であるが、呼吸や、呼吸にともなう腹部の膨張・収縮などを観察して、それを確認(ふくらみ・しぼみなどとラベリング)するのだが、割と微弱な身体感覚なので、うっかりすると寝て意識がはずれてぼんやり考え事(妄想)に向かってしまうのがつらい。それが修行ではあるのだが。
ある日(夜かもしれない)、さて瞑想でもするかと思った私は、開始早々に割と強めの尿意にさいなまれはじめた。そして「コレはいけるんとちゃうやろか」と大阪弁で考えて、「大阪弁で考えた」とラベリングしながら、観察する対象を「尿意」にした。とにかくこれはどのような尿意であるのか、どのような気持ちなのか、この感覚ははたして「痛い」のか「かゆい」のかそれとも他のいったい何なのか、というようなことを、考えるのではなく感覚ひとつひとつを言語化というか、単一のワードにして瞑想を続けた。
が、通常ならやり過ごせるであろう尿意が、瞑想を通じてじっくり観察することによりとてつもなく増大し、このままでは私の人生にK-Pg境界を発生しうるかもしれない恐怖の体内現象のようになってしまい、10分もたたずに瞑想を中断する羽目になってしまった。
ここでこの話が冒頭の話題に戻る。
かように、こと「出す」ことに関して立ち向かうには、我々の交感神経系、つまり制御体系・意識・理性・社会通念などは、悲しいほど脆弱あるいは無力であるということではないかと。
では、むしろ挑んでみようではないかと。
それは「大便の排出を途中でコントロールする(とめる)」つまり、脱糞をみずからの意思で中断して個室から退出する、というこころみである。
もちろん、勝算は未知数である。大体において検尿などのときにもその「中断」というアクションがとんでもなく苦痛であることは自明である。さらに大便コントロールなど、途方も無い修行に感じられる。
どうせ「リラックスしよう」などという、意識で意識を変える態度がそもそもナンセンスだ、というのであれば、大きな「敗北」という事件のまえに跪き、しかるのち仰臥してリアライズすることによってしか私は変わることができないのではないか、と思うのである。
そして今日は挑戦3日目である。
いまだ私はコントロール側の勝利を味わっていない。
私が感じたのは「あああああああ」ということだけである。
だが、挑戦を続けたい。
良い結果が報告できればこちらに掲載したいと思う。
友人のカズマという男が一時期ハマっていたアイルランドの郷土料理であるところのパン。
イーストで発酵させるのではなく、重曹(炭酸水素ナトリウム)で生地を発泡させて作る、というものであるが、実際に重曹で作ると苦い、という触れ込みだったので昨日ベーキングパウダー(で代用するとよいとネットで見た)を探したが見つからなかったので、やはり重曹で作ったらやはり苦かった。そのうえ、なにかイオウ臭のようなフレーバーが。
しかし、たいへんに美味しかったので、また作ろうと思う。
※ネットで流布しているレシピよりも油を控えめにしたら、生地がまとまりにくかったので、次回はもう少し油を加えよう。
親愛なる調律師・楽器製作者の 加屋野木山氏との作詞・作曲対決!今回のお題は「ハロウィン」!
BabySnakeの」新曲は『サヨナラは言わない』です
ぜひお聴きください!
動画も頑張りました!
以下、歌詞を掲載しておきます。
組曲のような感じの曲なので、それぞれのタイトルも書いておきます。
『サヨナラは言わない』
作・編曲 山上洋路
作詞 山上洋路
1 ’Overture’ – Instrumental
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2 ‘街はHighいろ’
街は灰色 よどんだ夕陽
吹きだまりには 茶色い落ち葉
もう六時だと 告げるあの声
振り返ったら 夕闇のなか
人混みに立つ イライラの辻
キミの声だけ 選んで聴くよ
もう六時だと 告げるあの声
振り返ったら 真っ暗闇さ
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3 ‘Come On’
愛したはずの貴男
信じたはずの未来
だました ワキの下
しげみの中にひそめ
燃え尽きるまで
抱いて抱いて
カモン
ポイしたはずのオマエ
どうしてここにいるの
ヌらした袖の下
ソレはソレコレはコレ
降りしきる
冷たい雨
吹きすさぶ
肉の嵐
カモン
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4 ‘フリッジャー’
冷蔵庫を
冷蔵庫を
内側から開ける手
冷蔵庫を
冷蔵庫を
内側から開ける手
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5 ‘ある秋の情景’
玄関ピンポン誰も居ない
おうちにコール誰も出ない
ひらひら提灯ゆれている
あの子はどこへ行ったかな
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6 ‘君に秋が来たみたい’
君に秋が来たみたい
急に秋が来たみたい
未来なんていらない
ただあの頃に帰らせて
僕に秋が来たみたい
急に秋が来たみたい
まっくろな水の中
ただあの頃に帰らせて
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7 ‘ナイトメア・チャント’
意地になってひっかかって
嫌になって突っかかって
ダメになっカッとなって
今になってハッとなって
気付いたってずっとまって
歩いてって迷子になって
意地になってひっかかって
嫌になって突っかかって
ダメになっカッとなって
今になってハッとなって
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8 ‘キャンドルナイト’
夜は更けて ふたりきり
キャンドル灯し 見つめ合う
肩にまわす腕に ぬくもりはもうないけど
骨が飛び出た手足 くずれおちてゆく顔
「なにか言ったかい?」- 聞こえない
愛で満ちる世界
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9 ‘サヨナラは言わない’
サヨナラは言わない いつまでいつまでも
ひとりじゃ生きられない どこまでどこまでも
大きな雲の彼方の 遠くの果てのあなたに
サヨナラは言わない いつまでいつまでも
ひとりで生きてゆく どこまでどこまでも
どこまでどこまでも どこまでどこまでも
どこまでどこまでも どこまでどこまでも
大きな海の彼方の 遠くの果てのあなたに
サヨナラは言わない いつまでいつまでも
ひとりで歩いてく どこまでどこまでも
どこまでどこまでも どこまでどこまでも
どこまでどこまでも どこまでどこまでも
どこまでどこまでも どこまでどこまでも
またしても中年の日常をどうぞ。おやすみなさい。